話しは平成が始まったころだから、30年ほど前まで遡る。
北陸地方のパチンコホールが、地元紙の全3段を使い、単純明快な広告を出稿したことが話題になった。
赤字で「出します」とただ一言、大きく書かれた文字だけの広告が地元をざわつかせた。当時はシャッターを開けてお客が雪崩れ込む時代。もちろん整理券などない時代でけが人が出た。
この広告は組合で大問題になった。
組合から「止めろ!」と警告が入った。
ホールオーナーは「なんで止めなければいけないのか?」と応じることはなかった。すると組合から警察OBの専務理事がホールを訪れこう言い放った。
「パチンコは出すのが当たり前だから書くな」と変な理論を振りかざしてきた。
「当たり前だから出す。それの何が悪い」と徹底抗戦した。
ナゼ、組合がここまで横やりを入れてきたかというと、このホールと隣接する競合店がすっかりお客を奪われ、組合に泣きついた、というのが真相だった。
353台の店で日売りは3000万円に達した。実に台ウリ10万円だ。
このホールは島ごとに6人の釘師、6人の店長を育て上げ、島ごとに売り上げを競わせた。その結果が台ウリ10万円だった。
「一番店を作るには頭、腕、何よりも心で勝つことを目指した。客が集まれば集まるほど出玉は出ているように見える。出ているように思わせるテクニックが大事。それには釘の技術と設定の妙が必要」(元オーナー)
大繁盛店は閉店後、駐車場には翌日のために100人が並んでいた。
組合とは一線を引いたが、地域に還元するために地元で仕入れ、行政、警察、商工会とも密な関係を作り味方につけた。社員には他所よりも給料を多く出した。特に給料日は店長、部長には特別手当を出し、人心を掌握した。
「接客では稼働は上がらないと言われたが、接客は出玉調整でもある。接客をよくすることで140%の割数が接客で145%に見える。売り上げがそれによって100万円が150万円に上がる。閉めているのにお客さんは『出ている』という。お客さんが多いと出ているように見える。稼働のないところに客を付けるのが接客」(同)
この理論は時代が移り変わろうとも不変であるが、稼働がここまで下がると、それを実行できるホールが少ないことが、寂しいところだ。
30年前「出します」の広告を打ち大盛況だったお店は、本当に出して、このお店=出るという固定観念をお客さんに植え付けたのではないかと、そうなれば、商売なので当たり前にある回収日も稼働上がるから、出ているように見えますし。
今のパチンコ屋が何故、がらがらなのか?がらがらから集客する為には何が必要なのか、その辺の事を指摘するようなコラムを読みたい。
とは言っても、盛況だった30年前との比較すると、入れ替えサイクルが早い、機械代の高騰、CR機や5号機の何が悪いのかが理解出来ない強制撤去、お客さんの勝てる上限を付けたパチスロ、ごく一部盛況ホールはあるかとは思いますが、、、
いずれにせよ、必要無し。以上