平和で退屈な時代にパチンコ店だけ「場違いに突出した鉄火場」になれば叩かれるのは当たり前【我市場的瑣末主義】

パチンコは平和な時代の産業だな、と韓国の戒厳令のニュースを話題にしながらある高齢のホールオーナーが言った。「平和だからこそ人はちょっとした刺激を求めてパチンコ店に来る。気晴らしや憂さ晴らしとして。平和は慣れると退屈だからね」と。

平和産業としてのパチンコ業。娯楽産業全般に言えることかも。世の中が騒然としたり災害などで危機に見舞われたり喪に服していたりするような社会環境においてはパチンコは場違いな存在になりかねない。

ところが危機が去りすることがなくなると「平和を象徴する場」として再びパチンコ店が活況をしめすようになる、と。

ただ、憂さ晴らし退屈しのぎに遊ぶのはいいがちょっとした刺激もじきに慣れるとより強い刺激を求めるようになる。それに店側が応えて刺激をどんどん強くしていったのが今のパチンコ店。

平和で退屈な時代にそこだけ場違いに突出した鉄火場になれば叩かれるのは当たり前。「平和な時代でこそ成り立っているありがたい商売だということを経営者はみな思い出さないといけない」と。軍事政権時代を知るからこそ。

現実逃避や時間つぶしは無限にあるネット社会。刺激競争にも果てがない。平和な生活の中で立ち寄れる場所としての存在価値。

※本コラムは「日刊遊技情報」より抜粋


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  1. ゲーム性が終わってるだけだよ。
    平和うんぬんなんて関係なしだとまだ気付かないの?

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