団体もエライ! 個人もエライ!
〈前編〉で訪れた「洞窟観音」は資産家の山田徳蔵さんが「多くのひとたちのために楽土をつくりたい」との思いで大正8年から50年もの歳月をかけて掘られました。まさに執念。「なせばなる」なんて安易に表現するわけにもいきません。莫大な私財を投じた徳蔵さんにくわえ、この大事業には何人もの名もなき工夫たちがたくさん参加していたはずであり、みんな称賛されてしかるべき。東京五輪の団体競技で金メダルを獲得した選手たちも含めていまさらながらに称えたい。スゴイぞみんな! エライぞみんな!
ただ、わたくし的には個人戦が好みです。もちろん個人戦にもコーチやトレーナー、家族たちの協力が欠かせない。それでもはやり、本番の試合はひとりで戦うことになるのです。むしろ自分との闘いだと言っていい。その崇高な姿にこころ惹かれます。
個人戦に惹かれる理由はもうひとつ。趣味の世界であっても仲間を誘わなければ成立しない野球や麻雀ではなく、釣り、登山、バイク、パチンコも基本はひとり。予定があえば仲間といっしょに楽しむこともできますが、ひとりだけでもちゃんと楽しい遊びです。どちらかと言えば、こういう遊びにこころ惹かれる。
「おまえ、暗いなあ。ひとりなんかで遊んでいて楽しいのかよ?」
と冷ややかな目をむけられたところでかまいません。ひとりで遊べるひとは集団でも遊べますが、集団でしか遊べないひとは、なぜかひとり遊びを批判する。やっぱり寂しいのですかね、ひとりだと? そう考えるとインドの仏教僧であり、中国に禅宗を広めた達磨大師はものすごいお方です。座禅と遊びを同列にあつかってはたいへん申し訳ないけれど、大師は9年間も洞窟のなかで座禅を組んでいた(諸説あります)! ひとり遊びを冷ややかにみられている立場としてはとても親近感が湧くお方です。
ウマに嫌われた「だるま」たち
達磨大師の詳しい事績はWikipediaなどに譲りますが、東京五輪の障害馬術に参加したウマたちはどうやら縁起だるまが苦手だったようですね。ハトやカラスにはキラキラ光るCD‐ROM、野良ネコは水が入ったペットボトル、農作物や庭の植物を食べてしまう野良ウマは縁起だるまで退治する。もしかすると、シカやイノシシ、クマにも効果があるかもしれません。これで農村の被害が少なくなるなら縁起だるまの活用法に新境地が拓かれる? もちろん、墨で瞳を描き入れることをお忘れなく。だるまにウインクさせて動物たちがむしろ近よってきたら笑えます。
それはそうと、縁起だるまの発祥の地である「少林山達磨寺」は「洞窟観音」からおよそ15㎞の道のりでした。歴史を感じさせる立派な門をくぐるとそこは仰ぎみるほど傾斜がきつい階段になっています。適度に苔むした風情のある石の階段ですが、運動不足かつヘビースモーカーにとってはチトつらい。気温27度。湿度が高く、不快指数マックスのなか、ヒーヒー息を切らせながらのぼっていきます。
座禅道場などがならぶ境内にようやくたどりついたものの、目的地の達磨堂はさらに先。あと少しだけ階段がつづきます。手水舎の冷たい水で心身を清めたついでに荒れた息も整え、いざ再出発!
みえてきましたよ。達磨堂の濡れ縁に積みあげられた縁起だるまの数々。大きさもさまざまならば、赤のほかに黄色や緑、白いだるまもありました。願いが叶ったのかどうかはともかく、役割を終えた縁起だるまが供養のために焼かれる順番を達磨堂の濡れ縁で待っている。そんな感じです。
祈願するなら「値上げをやめて!」
寺院でみかける祈願絵馬もここではやっぱりだるまの絵。「志望校に合格できますように」「絶対優勝!」なんていう願いごともあれば、「○○ちゃんが結婚できますように」といった書き込みまであります。きっとおせっかいな友人か親戚が「○○ちゃん」にかわってお願いしたのでしょう。
わたくしが絵だるまに祈願するなら「絶対禁煙」ではなく、「値上げをやめて!」かな。せめて「20代の頃の体力を!」。どちらも叶いそうにありません。そもそも他力本願と「なせばなる」の精神は大きく矛盾します。なのであえて祈願はしないですませましたが、「少林山達磨寺」と達磨大師とはどんな関係があるのか少しだけ説明します。
このお寺のホームページ(https://www.daruma.or.jp/)によれば、「延宝八年(1680年)に一了居士(いちりょうこじ)という行者が霊夢によって訪れ、信心を凝らして一刀三礼、達磨大師の座像を彫り上げ観音堂にお祀りしました」とのこと。
いまから200年ほどまえには浅間山の大噴火や天候不良などで大飢饉となり、9代目の住職だった東嶽(とうがく)和尚が生活に陥った農民を救済するため、張り子のだるまを職人たちにつくらせたのだそうです。
しかし、室町時代に創建されたという「少林山達磨寺」の由緒を記した古文書は、明治期の火災でその大半が焼失してしまったらしく、正確な年代は不明となっているようです。
ま、ウンチクはこのあたりでやめておき、最後の目的地へむかいます。
スケールが違うぞ! 古代の公共事業!
日本にかぎらず世界にはさまざまな偉業をなしとげたひとたちがいます。そうした偉業の数かずを比較するのは失礼ですが、「クニ」をあげた取り組みはさすがにスケールが違います。そのひとつが高崎市にある「保渡田八幡塚古墳」です。
築造は5世紀の終わり頃から6世紀のはじまりにかけて。墳丘長は102m、後円部径56m、現存の高さは約6m! 近畿地方の巨大古墳にくらべるとかなり小ぶりですが、少なくともわが家よりはデカい!
この古墳にどんなひとが眠っていたのかはともかく、たぶん古墳の周辺で暮らしていた多くのひとたちが協力しあって完成させた。ものすごい団結力です。でも、なぜこんなことが言えるのか?
エジプトのピラミッドはかつて、戦争に負けて奴隷となったひとたちが「怠けるな! ちゃんと働け!」とばかりにビシバシと鞭を打たれ、ようやく完成に至ったというイメージがもたれていましたが、これはどうやら古い考え方らしく、ピラミッドの建造は徴収した税(おそらく小麦などの食料)を納税者たちに還元する公共事業だったとされています。
現在にたとえるならば、ピラミッドも公民館や道路と同じハコモノです。ナイル川が氾濫して農閑期に入り、食料がたりなくなったひとたちに仕事を与え、メシを食わせる。そりゃそうですよね。鞭を打って強引に働かせていたのでは、いずれ反乱につながります。日本の古墳だってたぶん同じです。
日本各地にある古墳も王の威厳を示すためにつくられたとされていますが、王の威厳とはすなわち、「これだけ多くの民に協力させることができるのだ」といったメッセージなのでしょう。スゴイぞ民! エライぞ王!
しかしですね、王さま。いまに残された壮大な古墳のようすを眺めていると、古代に生きた庶民たちのこんな本音も聞こえてきます。
「あなたの墓をつくる労働の対価ではなく〝定額給付金〟をくれるなら、もっとデカい墓をつくってやるのになあ」
いやいや。なんでもカネに絡める卑しい話はやめましょう。「なせばなる」。そのうち努力は報われる。『旅パチ』のPVもあがるはず。次回は長野県の佐久市を紹介します!
旅のエピローグ
ところで、高崎市を代表する食べものはいったい何か? 「水沢うどん」は同じ群馬県でも伊香保地方の名物です。コンニャクは? 残念ながら食事のメインにはなりなません。仕方なく(失礼!)食べたのが全国展開するチェーン店のラーメンでした。
<高崎市>稼働調査パチンコ店一覧
5店舗の平均稼働率20.3%(2021年7月24日/14:00~16:00)
所在地 群馬県高崎市江木町310-4
店舗ホームページ https://www.p-world.co.jp/gunma/tsubame-takasaki.htm
所在地 群馬県高崎市飯塚町824-2
店舗ホームページ https://www.p-world.co.jp/gunma/dstation-takasaki.htm
所在地 群馬県高崎市緑町1-1-19
店舗ホームページ https://www.p-world.co.jp/gunma/daiichi-shinko.htm
所在地 群馬県高崎市並榎町44-1
店舗ホームページ https://p-town.dmm.com/shops/gunma/13000
所在地 群馬県高崎市八千代町1-1-1
店舗ホームページ https://www.p-world.co.jp/gunma/taiyo.htm
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