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【寄稿コラム】あえて表に出ないという選択肢もパチンコ店にはあることを忘れてはいけない

人は自由や民主主義や合理主義といったリベラルな価値観だけで生を組み立てることはできない、と思想家の佐伯啓思氏(『近代の虚妄』)。「顕在的文化」の背後には必ず「潜在的文化」が生きていると。

人間の持つ「裏」の要素、毒のようなものともいえる。それをいかに目立たないように消却するか。近代国家は、その毒を表に出すことなく上手に処理する方法を考案してきたのだった。たとえば人のストレス発散もこの役割を果たす。レジャー産業、娯楽やスポーツ、ゲーム、そしてギャンブルしかり。

「毒」消却の巧拙が、社会の円滑な活動へ大きく寄与していることを人は忘れがちだ。社会的評価も残念ながら低い。目立たない活動であるからこそ、実は意義深いことなのだが。

そして当事者も、自分の仕事が社会に貢献しているといういわば「反転した社会性」を持つ自覚に薄い。なので「グレーな業界」とか、まるで悪いことをしているかのようなアウトサイダー意識に苛まれるのが常である。

こうした状況を跳ね返す考え方には2つある。1つ目は表の世界に出ること。株式公開や社会貢献活動により社会の全面に積極的に出るという考え方。そしてもう1つは、(意義深い仕事と自覚したうえで)表に全く出ないという選択だ。

世の中には「間違いなくあるのに、見たくないもの」というものが存在している。下水処理に代表されるような話。あえて表に出ないという選択肢もパチンコ店にはあることを忘れてはいけない。

近代の虚妄: 現代文明論序説


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  1. 身近に認知される変貌や活動に邁進してきたからこそ普通の庶民にも敷居が低くなって、これだけの盛衰が起きたんじゃないか?
    今更敢えて表に出ないなどという選択肢を採って、毒を浄化するための怪しげな賭場というイメージを数十年かけて取り戻そうとするなら、細々とした末路どころか絶滅だろうに。
    時代に逆行しても、パチンコ業界に怪しげな賭場に戻る空席はもう無いよ。

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  2. くだらない文章

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