年末の大掃除をしていた際、実に懐かしいノートが出てくる。パチンコで生計を立てていた頃の記録帳だ。パラパラとページをめくっていると当時のことが思い出され、しばし感傷的な気分に。
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2003年9月1日
「ブラボーファイブ」千円38回 収支プラス10500円。
目まいがするほど当たらない
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いや、『CRブラボーファイブ』は本当に良い機械だった。センサーを触れば液晶演出がカットされて変動結果がすぐに出る、いわゆる「スキップ機能」を搭載した1号機だ。演出など一切関係の無いパチプロもどきには文字通りうってつけのパチンコ機。且つ、大当り時には「ドーン」という音とともに液晶に当たり図柄が15個も表示されるなど、なかなかの中毒性があったものである。
また、当時は40玉交換が主流の時代であり、1000円当たりの回転数が30回転を超える台も全く珍しくはなく。探せば40回転近い台もゴロゴロしていたものだ。それをひたすらスキップしながら回し続けた日々。そういえば、定規のようなものでパシパシと(盤面左下に位置する)タッチセンサーを叩いていた輩も多かったことを思い出す。そのせいで同機の盤面は傷だらけに。今だったらさすがに店員さんに注意されることだろう。
1万円ほどプラスになっても「めちゃくちゃツイていない」と嘆けた時代。そう考えると、今とは比べ物にならないほど恵まれた環境だった。28歳の頃に新卒で勤めた会社を辞めたのも「とりあえずパチンコさえしていれば、お金に困ることはない」という確信があったからに他ならない。
振り返ってみると、かなりヤバイ思考状況だったが。たしかにお金のことだけでいえば十分生活できるくらいは稼げたものだ。パチプロ生活をしていた2003年と2004年の2年間における合計収支はプラス1000万円ほど。日当2万円で20日間稼働=月額40万円、年間500万円といった感じである。
むろん机上の計算よりも勝ちまくる時もあれば、辛いくらいに負け続けることもあったが、均してみると収支は当然プラスになるもの。一応お伝えしておくと、計算上は1200万円ほど勝てるはずだったので、2年間の合計で200万円分ほどツイていなかったことになる。パチンコのロジックを知らない方はあまりピンと来ないだろうが、(基本的に無職でさえあれば)パチンコでこの程度を稼ぐことは簡単に出来た時代だったのである。
しかし、だ。開店から閉店までひたすらパチンコを打ち続ける、下見や並びの時間も含めると1日15時間以上。それだけ労力をかけて日当わずか2万円ということは、時給換算だと約1300円にしかならないということ。普通にアルバイトとしてパチンコホールで働いていても、それくらい十分に稼げそうなものである。
そして何より、まともな神経では心が病んでしまうのが最大のネックだ。2年目の後半には自分も頭がおかしくなりそうだった。30間近になっても働かずにパチンコしているなんて、友人や親に言えるものではない。そうして人との接触を自然と避けるようになる。コンビニで「温めますか」と聞かれた際に「結構です」と答える、その瞬間、数日ぶりに言葉を発したことに気付いて愕然としたことも。
このように「パチンコでお金を稼げること」と「パチプロとして生活していけること」は、似て非なるものなのだ。さすがに今の状況でパチプロになろうなんて奇特な人は居ないだろうが、万が一そう思っている人が居るとすれば思いとどまることを強くお勧めしたい。(むろんライターさんのように本業がある方はまた別の話だが。)
今現在「パチプロのみ」で生計を立てている個人が果たしてどれだけ生き残っているのか。実に興味があるところだ。もはや一人も居ないのか、こんなご時世でも意外と居るものなのか。仮に居たとすれば強靭なメンタルの持ち主であることは疑いようも無い。是非話を聞いてみたいものである。
同じくらいの時期にパチスロで生計たててたものです。週2、3回の稼働で年300ほど勝ってましたがそれでもしんどかったですね
今はリーマンスロッターで完全に養分ですが楽しく打ててますw
結婚する前は仕事後や土日休みはほぼ全てパチンコ漬けで、貯金もなく毎年100万くらいは負けてたと思います。今思えば完全に養分でした笑
僕みたいな人がたくさんいたから、それだけで食っていける人がいたんでしょうね笑
結婚してからは月に1回いけるかどうかで、行っても2万円までと決めて遊戯していますが、不思議と結婚してからの7年間はトータル+(80万くらい)になってます。息抜きや気晴らし程度に遊ぶのが丁度いいんですよねきっと。