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【寄稿コラム】大手パチンコホールを辞めて転職した元社員の本音

新卒で大手パチンコホールに就職して4年が経過した。毎日の仕事が苦痛になった。将来のことを考えて転職する覚悟を決めた。

しかし、いざ、転職活動を始めると現実の厳しさに直面した。ホール周りしか経験がないので「仕事のキャリアがない」と不採用になるところが続出。比較的採用されやすい営業職も採ってくれる会社はなかった。

ある会社ではこんなこともいわれた。

「第二新卒だったらよかったんだけど、4年間も働いていたらダメだよ」

つまり、新卒で入社して1~2年で辞めていたら会社の色にも染まっていないので、採用しやすいが、4年も働いていたらその会社の色が染みついているので、不採用になる、ということだ。

連戦連敗。やっとたどり着いたのが都内のタクシー会社だった。

タクシー運転手になろうとした理由を面接でこう話した。

「定年以降も働ける。会社の人間関係に煩わせることもなく働ける。将来的には個人タクシーで70歳になって働いていたい」

めでたく採用となり、二種免許も取得した。

パチンコ業界時代をこう振り返る。

「笑顔を絶やさず、毎日、毎日ペコペコお辞儀することがとにかく苦痛でたまらなかった。1時間のうちに20~30回は頭を下げていた。そんなことを毎日やっていたら頭がおかしくなった。笑顔なんて心の奥底から出たものではない。自分は単純労働ができる性格ではなかった。毎日に変化がないことも辞めたい理由でした」

会社に対する不満は堰を切ったように噴出する。

「人間的和を大切にする社風でしたが、エリア長がとにかく自信家で偉そうで、自慢話が鼻に付いた。こんな上にはなりたくなかった。高々、パチンコの売り上げを自慢してどうするの」

本人はパチンコの経験もなくホール企業に入った。入社後もパチンコはほとんどやらなかった。

「お客さんの話もつまらん話ばかり。若者もお年寄りもパチンコのことしか頭にない。いくら嵌った、いくら負けた。そんな話しかしない」

本人がパチンコをやらないので、お客さんのことを冷めた目で見ているところがあった。

カード普及のためにパチンコの確変が認められ、業界がギャンブル志向に舵を切ったことが、すべての始まりだった。

時計の針を元に戻すことはできないが、業界が再生するチャンスがあるとすれば、脱等価営業。全国一斉に昔の40個交換の営業スタイルへ戻し、ギャンブル志向の客から遊びを目的とする客へ総入れ替えることだ。

勝った、負けたの世界で、笑顔を作り続けることは苦痛となるが、本来の娯楽に戻れば、客が悲壮感を漂わせながら遊技に興じることもない。彼のような理由で業界から去る人も少なくなる。


コメント:54件 コメントを書く

  1. たぶんね、何をやっても上手く対処出来ない人なんだろうね。原因をパチンコだからと言えば皆が納得すると思っている。自分の選んだ道を自ら否定し、ただの一般職の段階で愚痴をいう。4年といえば店舗役職者になれる可能性があったのに、多分逃げて結果が出せなかったのだろう。後輩にも抜かれたか?情けないぞ。と言いたい。

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  2. 4年も働いて平のうえに挨拶は嫌だお辞儀はイヤだってだったら4年も居る必要なかったんじないの?
    自分は22で業界に入って25で役職まで上がり指導する立場ではサービス業なので、挨拶 お辞儀に関しては徹底させていましたね。
    でもそれが苦痛で嫌なら何の仕事しても同じと思いますね。

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