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【寄稿コラム】パチンコ玉は「数」ではなく物理的な「モノ」だったはず、そう話す高齢経営者の嘆きにも少しは耳を傾けたい

かつての上司は新興宗教の熱心な信者で、教団の事務スタッフが足りなくなると結局転職していった。まさに「天職」と。

ただし熱心と言っても「自分は子どもが不自由な体で生まれたことがきっかけとなり信仰に入ったが、生まれた時から信者として育った子どもたちの信仰の強さとは圧倒的な差がある」とも言っていた。生まれた時から信仰のある人と、後から入った人では血の中を流れるものが違うほど、とも。

こうした傾向は何も新興宗教に限らない。文化全般がそうだ。生まれる前から所与としてあるものを吸収する仕方と、後知恵として学習する仕方の皮膚感覚の違い。

例えば、現代人で電気のない暮らしを想像することは難しい。若い世代であればネットのない世界などあり得ないことだろう。

生まれる前からあるが、実はそれほど前からあったわけではないことを年長者は知っている。それでもネットを肌感覚で受肉している若年層と年長者との差は、デバイス操作の習熟度どころか、たぶん人生観そのものの違いにまで及んでいる。

生まれた時から玉場を流れるパチンコ玉の音を聞いて育った世代と、今の若い経営者では当然感覚が違う、そう高齢の二代目が言う。玉は「数」ではなく、あくまで物理的な「モノ」だったはずなのにと。

玉に触る経営から遠く隔たった経営者がうまくいかないのは当たり前。そんな嘆きを老害と一刀両断する前に、少しだけ考えてみたい。現場に出る大切さを訴えているようにも思えるものだ。


コメント:11件 コメントを書く

  1. 例え話が曖昧過ぎて伝えたいことが何なのかサッパリです。

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  2. やべぇ、何を仰っしゃりたいのかさっぱりわからない。オーナー自ら現場に出て、負け客に詰め寄られるシーンは見てみたい気もするが、そんなことしてたら「店長が勝手にやった」と逃げられなくなるではないか、くぎ曲げてンだからよ。しかし洗脳という部分で宗教と絡めるのは短絡的ではないかと思うぞ。

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